ガモフ
よみ方
がもふ
英 語
Gamow, George
説 明
ガモフ(George Gamow;1904-68)はウクライナ生まれでアメリカで活躍した理論物理学者。ウクライナのオデーサに生まれ、1923年からレニングラード大学で学んだ後、ゲッチンゲン大学に行き量子論を原子核に応用した研究で学位を得た。その後コペンハーゲン大学理論物理学研究所に移り、1931年にはソビエト連邦科学アカデミーの最年少会員に選ばれたが、1934年に妻とともにアメリカに亡命、ジョージワシントン大学の教授となった。1940年にはアメリカに帰化、1956年にコロラド大学ボルダー校に移り、そこで生涯を終えた。
ガモフは、1928年に原子核のα崩壊を量子力学のトンネル効果によって説明し、1948年には宇宙の起源に関するビッグバン宇宙論を提唱した。ビッグバン宇宙論の着想はルメートルに始まるが、それに最新の原子核理論を適用して、物理的内容を盛り込んだのはガモフが最初であり、現在のビッグバン宇宙論の基礎を築いたが、当時はなかなか受け入れられなかった。また、恒星進化と原子核合成、宇宙マイクロ波背景放射の温度の予測(ガモフの予測値は5K)、DNAによるタンパク質合成の研究など広範囲の学問分野で活躍し、『不思議の国のトムキンス』など多数の科学啓蒙書の執筆でも知られている。
ガモフはユーモアやお茶目を愛した人で、1948年に出版されたビッグバンでの元素合成を扱ったαβγ理論の論文の話は有名である。この論文は元々彼の大学院生のアルファーとの研究成果であったが、ほとんど関係ないハンス・べーテを著者に加えれば、論文の著者名がアルファー(R. Alpher)、ベーテ(H. Bethe)、ガモフ(G. Gamow)となってαβγをもじる形で語呂が良いという、ユーモアを愛したガモフのアイデアによりこうなった。実際にこの論文は研究者の間では「αβγ論文」と通称されている。この論文が出版されたのはフィジカルレビュー誌の1948年4月1日号であることにも何かの仕掛けがあったのかも知れない。
「ビッグバン」という名前にもいきさつがある。当時、ガモフらの理論に対抗する「定常宇宙論」を提唱していたイギリスのホイルが、BBCの番組でガモフらの理論を揶揄して、彼らは宇宙が「どでかい爆発(ビッグバン)」から始まったなどと言っていると発言した。(後年ホイルは揶揄する意味は微塵もなく、とっさに思いついたものと語っている。)これを聞いたガモフが、逆にこの言葉をとても気に入って、自分でそれを使い始めたと言われている。
2024年02月27日更新
この用語の改善に向けてご意見をお寄せください。
受信確認メール以外、個別のお返事は原則いたしませんのでご了解ください。