フラウンホーファー
よみ方
ふらうんほーふぁー
英 語
Fraunhofer, Joseph von
説 明
フラウンホーファー(Fraunhofer, Joseph von;1787- 1826)はドイツの光学技術者で天体分光学の創始者。ババリアに生まれ、10歳前後に両親と死別、孤児の徒弟としてガラス工場で働くうちに教育を受ける機会を与えられ、技師として光学ガラスの研究に取り組んだ。ガラス材の光学分散を測るためプリズム分光器をつくり、分散特性を調べる際に太陽スペクトル中に多数の暗線を発見(1814年頃)、フラウンホーファー線と呼ばれるようになる。この暗線(吸収線)は地上の光源でも見え、場合によっては輝線となり、元素によって定まっていることを見つけた。これにより、天体と地上が同一物質でできていることがわかり、これらのスペクトル線を見て元素が同定できることが確定した。月と金星、シリウスや他の1等星のスペクトルにも吸収線をみつけている。プリズムによらない分光法として、回折格子も発明した。
彼の作った精密な望遠鏡は、主要な天文台に設置され、19世紀半ばに行われた多くの重要な研究のための手段を提供した。ベッセルは、フラウンホーファーが製作したケーニッヒスベルク恒星光度計を使って、長年の懸案であった恒星の視差(1838年、はくちょう座61番星)を検証した。フリードリッヒ・シュトルーべがベガの視差を同時期に測定したのも、フラウンホーファーの屈折望遠鏡によるものだった。1822年にエルランゲン大学から名誉博士号を授与され、1823年にはミュンヘンの物理学博物館の館長に任命されたが、1826年、39歳の若さで亡くなった。死因は肺結核とも、当時のガラス職人によく見られた重金属中毒とも言われ、彼の死と共にその技術は失われた。
2024年03月21日更新
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