オールト
よみ方
おーると
英 語
Oort, Jan Hendrik
説 明
オールト(Jan Hendrik Oort;1900-92)はオランダの天文学者。フリースランド州、フラネカー生れ。グローニンゲン大学でカプタイン(J.C. Kapteyn)のもとで学び大学を卒業したが、1922年にアメリカのエール大学の大学院に行き、それまでと全く異なる極運動の研究に携わった。1924年にライデン大学に戻り、高速度星の研究で1926年に学位を取得した。
1927-28年にリンドブラッド(B. Lindblad)の銀河回転仮説をもとに独自の研究を進め、銀河系(天の川銀河)が、球状星団に代表されるゆっくり回転する大きなハローと、高速で回転する銀河円盤(ディスク)の二つの成分からなることを実証した。また、銀河円盤中の太陽近傍の星の回転を、二つの定数(オールト定数)を導入して定式化した。観測される星の固有運動と視線速度がこの式でよく説明できることから、銀河系が回転していることを実証した。カプタインの「二星流説(恒星の運動がランダムでなく、反対方向の 2 組の流れに分かれる)」とリンドブラッドの仮説からはじまった銀河系の星々の運動の研究が、オールトにより一応の完成を見た。
第二次大戦終了前から星間中性水素原子の研究を始めた。共同研究者であったユトレヒト大学の学生ファン・デ・フルストは、中性水素原子が波長21cmの電波(21cm線)を放射あるいは吸収することを予言した。この電波輝線は1951年にアメリカのユーインとパーセルによって検出され、すぐにオールト達も検出に成功した。オールト達は、自らの21cm輝線による北天の観測と、オーストラリアのグループによる南天の観測を併せて、天の川銀河の大域的な中性水素ガス分布を示し、渦巻構造、銀河中心部、ガス雲の運動などを明らかにした。太陽が天の川銀河の中心から3万光年ほど離れたところにあり、その軌道を一周するのに2億2,500万年かかると算出し、天の川銀河の質量は太陽の1000億個分にほぼ等しいことも明らかにしている。天の川銀河(銀河円盤)の回転は差動回転であることも示した。
1950年、現在オールトの雲として知られている彗星の起源説を提案し、その後、かに星雲からの電波が偏光していることを見出し、シンクロトロン放射であることを確認した。
オールトは1924年からライデン大学で働き、1935年にライデン大学教授となった。しかし、1940年にナチスドイツがオランダに侵攻すると、それに抗議して公職を退き1945年まで田舎で暮らした。1945年ライデン大学に戻り、天文台長などを歴任し、92歳で亡くなる直前までライデン大学に所属していた。1958年から1961年の間、国際天文学連合(IAU)の会長を務めるなど、ヨーロッパ天文学界のリーダーであり、ヨーロッパ南天天文台をはじめとする国際機関の設立に大きな役割を果たした。
王立天文学会ゴールドメダル(1946年)、日本の京都賞(1987年)などの受賞歴がある。
参考:https://phys-astro.sonoma.edu/brucemedalists/jan-oort
https://www.esa.int/About_Us/ESA_history/Jan_Hendrik_Oort_Comet_pioneer
2024年06月13日更新
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