シュトルーベ, オットー・リュドビゴビッチ
よみ方
しゅとるーべ, おっとー りゅどびこびっち
英 語
Struve, Otto Lyudvigovich
説 明
オットー・リュドビゴビッチ・シュトルーベ(Otto Lyudvigovich Struve;1897-1963)は、ロシア生まれで主にアメリカで活躍した天文学者。しばしばストルーベまたはシュトルーフェとも記される。グスタフ・ウイルヘルム・ルートビッヒ・シュトルーベの子としてハリコフに生まれた。1914年ハリコフ大学に入学するが、第一次大戦とロシア革命に翻弄されトルコに亡命、1921年にアメリカに渡った。1923年にシカゴ大学で学位を得て、1927年にアメリカに帰化した。シカゴ大学助教授を経てヤーキス天文台に入り、1932年に同天文台の台長となった。1939年にマクドナルド天文台長を兼任。1950年にカリフォルニア工科大学の主任教授になり、1952年から1955年にかけて国際天文学連合の第10代会長に就任、1959年にはアメリカ国立電波天文台 (NRAO) の初代台長に就任するなど天文学に関わる組織の要職を務めた。
恒星天文学の分野で多くの業績を挙げており、特異星、近接連星、恒星大気論など広範なテーマを扱い、恒星進化論の発展に大きな寄与をしている。また、アストロフィジカル・ジャーナル誌の編集長を15年間努めたり、一般向け雑誌のスカイ・アンド・テレスコープ誌に天体物理学の概念を分かりやすく解説した記事を書くなど、天文学の一般普及にも尽くした。
子どもがいなかったため、4代にわたり高名な天文学者を生んだシュトルーベの家系は、1963年の彼の死とともに終わった。1944年にはロンドン王立天文学会ゴールドメダル、1948年にブルースメダルを受賞。
参照:https://www.nasonline.org/wp-content/uploads/2024/06/struve-otto.pdf
2024年08月14日更新
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