フラウンホーファー線
よみ方
ふらうんほーふぁーせん
英 語
Fraunhofer line
説 明
1814年にドイツのフラウンホーファー(J. von Fraunhofer)が発見した太陽の可視光スペクトル中に見られる多数の暗線。フラウンホーファーは、雨戸にあけた直線状のスリットから導いた太陽光をプリズムに当て、プリズムの直後に置いた望遠鏡で太陽スペクトルを拡大して暗線について詳細に調べた。 太陽スペクトル中の暗線の存在については、イギリスのウォラストン(W. H. Wallaston)が1802年に気がついていたが、その詳細はフラウンホーファーまで調べられなかった。
フラウンホーファーは300本以上の暗線の位置を測定し、特に目立つ暗線に赤い方からA、B、Cなどのアルファベットを用いて名前をつけ、太陽スペクトルの図を1814-15年に出版した。D線の波長の決定には、自身で開発した回折格子を使っている。これらの暗線は1859年にキルヒホッフ(G. Kirchhoff)とブンゼン( R. Bunsen)により、原子による吸収線であることが示された。このうちC線は水素のHα線(波長656.3 nm)、D線はナトリウムの二重線(589.6 nmと589.0 nm:Na D線)、F線は水素Hβ線(486.1 nm)、H線(396.8 nm)とK線(393.4 nm)は電離カルシウムの線である。フラウンホーファー線という呼び名といくつかの線の名称は現在も使われている(H線とK線はまとめてHK線と呼ばれることが多い)。フラウンホーファーは太陽だけでなく、月と金星のスペクトルには太陽と同じ暗線が見え、他の恒星のスペクトルの暗線は太陽とはかなり異なっていることを見出している。
2021年10月26日更新
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